センチメンタル同盟

頭と身体の衰えが一致しない私の老いへの初めの一歩

 嫁業終了

 

お正月休みもあっという間に終わる。



実家が自営業だったせいで、子どもの頃は


お盆休みもお正月休みもなかった。



サラリーマンの夫と結婚して、人並みに


嫁として過ごすお正月休みを経験した。



12月後半の休みは大掃除に費やし


義父母や義姉家族御一行様のために


おせちを用意しておもてなしする。



やれビールのおかわりだ、お茶だ、


コーヒーを出せ、と


殿様のように言い付ける夫の声を



寒い台所で聞きながら


座ることもできず、せっせと運ぶ。



彼らファミリーは


暖かい部屋でぬくぬく、ワイワイ楽しげだ。



お盆休みやお正月休みが過ぎると


新聞の投書欄には 必ずこうした嫁たちの


怒りと嘆きの声が投稿されたものだ。



特に、大勢の親戚が集まる長男家の嫁は


その怒りが強かった。



手土産に菓子折り一つ持ってきて


あたりまえのようにお客様として過ごし


楽しげに話に花を咲かせる人たちのために



数日前から 布団を干したり


食材を用意したり、準備に追われ


お正月はこまねずみのように働く。



自分だって 実家に帰りたいのに


実家でのんびり過ごしたいのに、と。





そうした怒りに満ちた投書も


近年はあまり見かけなくなった。



ある意味、


数少ないコロナの恩恵かも知れない。



あのお正月、


御一行様がお帰りになり


山のような食器の後片付けをしていると



夫がひとこと、「ご苦労さん」と言って


また、暖かい部屋に戻って行った。


テレビを見ながらビールを飲むために。



その一言が 夫にとっての最大限の


労りの言葉だったのだと思うけれど



妻への労りの言葉というより


使用人への儀礼的な言葉のようだと


私は少し傷ついたのだった。



今なら言えるだろう。



「私は貴方がたの使用人じゃない。


来年からは自分たちでおやりなさい!」と。




しかし、もう義父母も夫もあの世の住人だ。



シニアになった私は


黒豆を電気圧力鍋で楽に作り


手のかかるおせちはoisixでお取り寄せだ。



二人の息子は おせちはあまり好まないが


私は私のためにおせちを用意する。



こまねずみみたいに働いて


ちょっとしか食べられなかったおせちを


遠慮することなく、ゆっくり食べる。




お正月が終わって 


ようやくホッとされている「嫁」の皆さま、


心から お疲れさまでした。



嫁業終了後は


どうぞ思う存分自分を甘やかし


自分のための時間をお過ごし下さい。



Noと言える嫁も


なかなか素敵だと私は思います。