センチメンタル同盟

頭と身体の衰えが一致しない私の老いへの初めの一歩

「拝啓 安倍晋三様」



国葬儀をめぐっては


賛成、反対、あちこちで大論争が起きた。



そして 終わってからも 国葬儀そのものや


元総理の政策について検証されている。



良いことだと思う。



元総理が亡くなったときに


国民には 悼む気持ちが先にあった。


人間としてあたりまえのことである。



しかし その気持ちを政策に利用するのは


いただけない。



人として悼む感情と その政策や行いを


批判することとは 別の次元の話だ。



だから 


国葬儀に長い列を作って献花した人も


デモに参加した人も 何も悪くない。



全く別の次元の話をいっしょにして


分断だ、対立だ、と騒ぐのは変だ。



○VS○の話にしてしまうと


大事なことが見えなくなる。



国葬儀当日のデモを非礼であると


非難する向きもあるが



一部の過激なデモはともかく


デモという行為そのものについては


否定されるべきものではないと思う。



国民に対して十分な説明のないまま


強行したことへの反対デモであって


個人の葬儀に対してのデモではない。



また、献花や拝礼についても


それもまた内心の自由であって


とやかく言うことではない。





国葬儀が終わった後、


新聞に掲載された以下の記事は


元総理に対する痛烈な批判である。



これも 批判する人はするだろう。



けれど


功をたたえるのなら 罪もまた


批判にさらされるべきではないだろうか。



なぜなら


彼は一国の総理大臣だったのだから。



一個人への中傷などではなく


その政策や公人としての行いに対する批判は


当然に受け止めるべきである。



国会で118回もの嘘の答弁をしたという事実


これは 政治家あるあるなどと


見過ごしていいことではない。



この「拝啓 安倍総理」という手紙を


国葬儀を強行した政治家に


きちんと受け止めてもらいたいと思う。



元総理の意志を引き継いでいく、という


強い決意があるのなら なおさらである。




フェイスブックより転載