センチメンタル同盟

頭と身体の衰えが一致しない私の老いへの初めの一歩

選んだことは、たぶん正しい

父は前立腺がんで亡くなった。


もう20年になる。



診断が確定したとき、


医師は3年はホルモン療法が効くと言った。




しかし、


あらゆる薬を試しても


3年後には打つ手がなくなる、と


はっきりと言われた。



父のがんは


たちが悪いものだった。







母はあらゆることを試みた。




食事療法に始まり


アガリクスだの、波動だの


怪しげな医師の怪しげなサプリだの…



それらの多くは 


後に全く効果がないと否定された。




3年が過ぎようとしたその春




新たな治療が始まったが、


薬が強く、みるみる食事が取れなくなった。


大食漢の父が、お粥さえも完食できず


1日の殆どをベッドで過ごした。




父の険しい表情に


家族の空気も重たくなった。



弱音を吐かない父が


薬をやめたい、と言ったとき


私たちは皆、話し合って賛成した。




たとえ、




この薬でいくらか寿命を伸ばせても



こんな暗い毎日が


父にとって意味ある日々となるのだろうか。



それが、私たちの答だった。




そうして



薬をすっぱりやめて、


父は再び元気になり、旅行にも行き


温泉にも入り、


のびのびと美味しい物を口にした。




その後、



一気に数値は悪くなり


年明けの入院から


春にはホスピスに移り


二度と家には帰れなかった。







人生は選択の連続だ。 



選ばなかった方が気にかかり、


その決断が正しかったか


常に問い続けて


悔やんだりする。




薬をやめたことで


父の命は短くなったのかも知れない…


そんな思いがどこかにあった。






私たちは


選択肢を前にしたとき


迷い、悩み、逡巡しながら答を探す。



その答にオールマイティはない。




母が試したあらゆることも


後の医学で否定されても



それは父には救いになったし、


家族の希望にもなった。




選んだことは、たぶん正しい。




大事な人のために


大事な自分のために




選んだ答は、たぶん正しい。




それくらいの正しさで


私たちは生きていくしかないのだ。