センチメンタル同盟

頭と身体の衰えが一致しない私の老いへの初めの一歩

 隠れた不自由


侍ジャパン、絶好調のようだ。



私はサッカーワールドカップに続き、


WBCも見ていない。



朝が早いので、見たいテレビは予約録画だ。


スポーツは録画で見るのはつまらない。



職業訓練が修了したので、


準決勝は見たいと思っている。楽しみだ。




サッカーワールドカップの時にも書いたが、



こうしたビッグイベントで


日本が好調であればあるほど


国民の高揚感が高まれば高まるほど



この隙に、と良からぬことを考える輩が


必ず現れる。



そして、


それが国の中枢にいる輩だったりする。



先輩ブロガーさんも投稿されていたけれど


自分が言ったことを言わない、と断言し


公文書を捏造だと強弁する国会議員は



本当に元総理とそっくりだ。


もし、本当であるなら職を辞す、と


吠えるところまでそっくりだ。



そうして


その本当のことを嘘で固めるために


また、誰かを犠牲にするのだろうか。



私たちの内心の自由とか


言論の自由とかは



実はもう既に 


力でねじ伏せられつつあるのではないか、


と思う。本当に少しずつ、少しずつ。



ただ、私たちが気づいていないだけで。



国が嘘をつくなんてありえない、


国が国民を蔑ろにするなんてありえない、と


信じようとしているけれど。



メディアが極端に偏ることは看過できない、


と権力を持つ者が干渉するのであれば


もう、そこに言論の自由はない。



それは、元総理の国葬儀の前だった。


拉致問題に関する本の充実に協力を、と


文科省が各図書館に文書を送付したのは。



もちろん、拉致問題を忘れないこと、


若い世代にも知ってもらうことは大事だ。



しかし、これは明らかに


図書館の選書に国が口出しをしている。


図書館の自由、公平性に干渉している。



これは、実は怖いことだ。



もし、国の権力者が 


特定の宗教団体の本の充実を求めたら?


右に偏る本の充実を求めたら?




「極端に偏る思想」の本は必要ない、と


求めたら?




じわじわと外堀を埋められたら


もう、私たちの自由はないに等しい。



良からぬことを考える輩に


私たちの自由をこっそり奪われないために



変だよね?おかしいよね?嫌だよね?


って考えられる冷静さは保っておきたい。



平和憲法を国民を無視して変えていく国だ。


ありえないことは 起こるかも知れない。



「どうせ何も変わらない」


って 見ない振りはよそう。



その言葉の積み重ねが 


私たちを不自由にする。