センチメンタル同盟

頭と身体の衰えが一致しない私の老いへの初めの一歩

最期の曲はスピッツで

最期の晩餐は何がいいか


という話を見聞きする。


私は何だろう。


イタリアンでもフレンチでもない。


こってりした焼肉や鰻でもない。


まぁ最期の晩餐なのだから


コレステロールも中性脂肪も


全く気にしなくていい話ではあるのだけれど



やっぱり最期は和食だろう。


私はシンプルにおにぎりとお味噌汁がいい。


炊きたて熱々のおにぎりに


上等の海苔をパリッと巻いて


漆の器に鰹だしの


豆腐の味噌汁なんかがあるといい。





では


最期に聴きたい音楽は何だろう。


この世から旅立つ時には


大好きな音楽を聴きながら逝きたい。



もう、ずっと前に亡くなった父は


最期の時間をホスピスで迎えた。


余命は、もう月単位ではなく、


日にち単位だと言われた頃


父は、「峠の我が家」を聴きたいと言った。


ホスピスにはいつも静かなBGMが流れていたけれど…



そうだ、音楽だ。


もう、大好きな本も読むことができなくなっていた父に


何かできることがあるとすれば


好きな音楽を聞かせてあげること。


どうしてもっと早く気づかなかったのだろう。



その頃はまだ


ネットで買うという手段を持っておらず、


近くのレコード店で探した。


小さなレコード店では見つからず、


注文で取り寄せてもらうことにした。



どうか間に合いますように、と祈りながら。





けれども


注文したCDが届いたその日に


父は亡くなった。


一度も聴かせてあげることができなかった。




私たちは


その頃はまだ珍しかった家族葬を選択し、


そのお別れの場で


父が聴きたいと願った「峠の我が家」を


何度も流したのだった。





父の入院からずっと


目の回るような忙しさで


それは父が亡くなった後もしばらく続いた。



父が座っていた椅子、


父に頼まれて買った時刻表、


父が好きだったお菓子…



何を見ても悲しかったが


泣いている間もない日々だった。





そんなある日


突然スピッツの曲が聴きたくなり


借りて来たCDを流していると


ふと次男の財布が目に付いた。



それは


まだ幼かった次男のお気に入りの財布で


落としたときにわかるように


父の達筆で次男の名前が書かれていた。



その文字を見た瞬間、


今まで抑えていた気持ちが溢れ出した。


もう、涙をこらえることができなかった。



私は、そのとき流れていたスピッツの「楓」を


何度も何度も


繰り返し聴いたのだった。





だから



私は自分で用意しよう。


クラシックも好きだけど


聴きたいアーティストは沢山いるけれど


私は決めている。


最期に聴く曲はスピッツだ。


きっと


優しい気持ちで旅立てる気がする。