センチメンタル同盟

頭と身体の衰えが一致しない私の老いへの初めの一歩

 あの日から


今朝、久しぶりに夫の部屋の近くを通った。


夫が会社からの帰りに通っていた道にも


桜の花がまだ咲いていた。



7年間、ずっとこの桜を見たのだろうけれど


今年は見られなかった。




夫の住んでいた部屋には


カーテンがかかっておらず、


まだ誰も入居していないようだった。





夫の部屋を片付けて、引渡しをしたあの日、


もう二度とここには来ることはない、と


思っていた。



カーテンのかかっていない、


灯りのつかない部屋を見たくなかった。



誰かが 早く入居してくれるといい、と


ずっと思っていた。




賃貸情報を見ると 家賃が下がっていた。


当然だろう。申し訳ない気持ちになる。




昔、「赤毛のアン」シリーズが大好きで


アンが結婚して、その子供が大きくなる、


最後の巻までを全部読んだ。



その中に マリラの言葉で 


家というのは 出産と婚礼と死によって


清められる、というような1節があった。



日本には そういう考え方はない。






あの日、


あのものすごく荒んだ部屋に入ってくれた、


警察官は私たちに一切何も見せなかった。



夜、遺体を引き取りに行ったとき


夫の部屋にあった貴重品を全て


チャック袋に入れて渡してくれた。



あのものすごい部屋から


現金、財布、通帳、鍵、カード、全てを


探してまとめておいてくれたのだ。



そして、


「施錠も確認してあります。」と


伝えてくれた。



あの嵐のような1日の中で


こうした警察の配慮が 本当にありがたく、


感謝しかなかった。





もう一度、


何もなかったように



誰かが あの部屋に入ってくれて


何もなかったように


普通の生活が また始まるといい。



泣いたり 怒ったり 悩んだり 笑ったり


そういう 普通の生活が



また新たにあの部屋に戻ってくれることを


心から願う。



そういう普通の生活こそが


あの部屋を清めてくれると思うのだ。



あの部屋にも



    早く 春よ、来い。