秘密
バタバタした毎日に疲れて、
家の片付けがなかなか進まない。
とりあえずは玄関の引き出しから、と
整理を始めたとき、
引き出しの奥から、見慣れない印鑑ケースが
出てきた。よくある和柄の布製だ。
何の印鑑だろう?
とケースを開けてみると、鍵が入っている。
鍵?どこの鍵だろう?…
しばし考える。
次の瞬間、ハッとした。
取り返しのつかないミスに気づいたときの
あの冷や汗が滲むような衝撃。
しばらく動けなかった。
必死に記憶を辿った。
間違いない。
これは、夫の鍵だ。
夫がひとりで過ごし、最期を迎えた、
あの部屋の鍵だ。
私が預かっていたのだ!
夫と連絡が取れなくなり、
向かった部屋には明かりが灯り、
テレビもついているようだった。
LINEの返信はいつも遅いし、
居留守を使われたこともある。
また、悪い癖で
飲み過ぎて寝ているのかも知れない。
鍵はきちんとかけてあった。
私はずっと
鍵を預かっていない、と思い込んでいた。
翌朝も連絡が取れず、
会社とも連絡が取れていない。
夫の部屋からは、まだテレビの明かりが
漏れていた。
鍵。鍵がない。
ずっとそう思い込んでいた。
鍵もなく、ガラスも割ることなく、
警察は難なく部屋の中に入った。
外で待つように指示されたあの日、
明け方にうっすら降った雪が薄く積もり
ものすごく寒かった。
どうしようもない酷い汚部屋の中から
部屋の鍵や携帯、財布、現金、通帳など
一式を警察官は見つけ出し、
ジップロックの袋に入れて
その夜、警察署で渡してくれた。
鍵は合鍵と共に2本入っていた。
後日、管理会社に部屋を明け渡すとき
鍵は3本あったことを知らされた。
しかし、警察から渡された鍵以外、
鍵はなかった。
会社のデスクにでも入れているのか、と
思ったけれど、
会社から渡された私物の中にもなかった。
酷い汚部屋ではあったけれど、
鍵を失くすような人ではなかった。
それでも、私は気づかなかった。
思い出すことができなかった。
合鍵を渡されていたことを。
印鑑ケースに入ったこの鍵を
私が忘れていなかったら…
預かっていたことをちゃんと覚えていたら…
タラレバは意味がない。
意味がないけれど。
もう、戻れないけれど。
もしかしたら、自分のどこかで、
無意識に蓋をしていたのではないか
などと考える。
あの鍵があったら、何か変わっていたのか。
怖くて、蓋をする。
意識して、蓋をする。
私は散骨希望だから、
墓場までこの秘密は持っていけない。
だから、黙って蓋をする。
永遠に秘密の蓋をする。

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