センチメンタル同盟

頭と身体の衰えが一致しない私の老いへの初めの一歩

「永遠のおでかけ」


益田ミリさんのエッセイが好きだ。


本もいろいろ読んだが



新聞に隔週で掲載されるエッセイや


週刊文春の漫画も好きだ。




久しぶりにミリさんの本が読みたくなった。



「永遠のおでかけ」というそのタイトルと


帯に書かれた言葉が沁みる。



「父が最後に買ってくれたのはセブン-イレブンのおでんだった」



もう、これだけでちょっと泣きそうになる。







病で父上の余命がわかって


実家で過ごしたときのやり取りや



亡くなられてからの日常が


淡々と書かれている。



ミリさんは


亡くなられたことを聞き、帰郷するのだが



悲しみにじっくり浸る間もなく


葬儀にかかるお金の話に移る場面がある。



葬儀社との現実的なやり取りが


きっと経験した人にならよくわかると思う。



大切な人を亡くした悲しみと


葬儀について決める現実的なあれこれとを



行ったり来たりしながら 時間は過ぎる。



すべてが終わり、ミリさんは


帰りの新幹線に乗り遅れてしまうのだが



「もう、父のからだのことを心配しないでよいのだ。心配して泣かなくてもよいのだ。そう思うと、胸のつかえが下りたようだった。



と、書いている。





亡くした悲しみは大きいが



余命を知ってから どんどん弱っていく親を


見るつらさや悲しみはたとえようがない。



そのつらさから解き放たれたミリさんの


安堵のような思いは とてもよくわかる。




義父が亡くなったとき 夫は言った。


「ホッとした。これでもう心配しなくても済む」と。


そのときは その気持ちがわかりかねたが



自分の父親が亡くなったとき


強烈な喪失感と共に



もう、心配しなくていいのだ、と


どこかで安堵していた。



父も もう苦しむこともないのだ、と。




人はみんな、こんなふうに


生死を繰り返していく。



「永遠のおでかけ」


って とても良い言葉だなと思う。




私の夏休みは終わった。



永遠のおでかけまでに


私に残されている時間はどれほどだろう。



悲しいことも つらいことも


そのおでかけまでの ほんのひとときだ。



すべてを受け入れ、笑って 笑って


笑い飛ばして歩いていけたらいい。