センチメンタル同盟

頭と身体の衰えが一致しない私の老いへの初めの一歩

赦されながら歩き出す

青色

若い頃、


2月の晴れた寒い朝、カフェの窓から眺めた景色にその老夫婦はいた。


お揃いのカウチンセーターは、おそらく夫人の手編みだろう。


静かに寄り添い、ゆっくりと歩くその背中は慈しみに溢れ、柔らかな光を纏っていた。


あんな夫婦になりたいな…


若い頃の願いは叶わず、

何が足りず、何が間違ったのかもわからない。

ただただ、それは叶わなかった。



秋の午後、


その人は華やかな花束さえもない場所で、凛と顔を上げ、まっすぐに前を見つめていた。


私たちは誰でもみんな間違える。

つまづき、失敗し、それでも誰かに赦されながら前に踏み出す。


批判と非難の嵐の中を、揺るがず進むその強さが


いつかあの老夫婦のように、柔らかな陽光の中、互いを慈しみながら進む未来へと導いてくれるよう


その門出を静かに祝う。


私たちは皆、


赦されながら歩き出す



私たちは黄昏を歩くセンチメンタル同盟

無知の知

青色

「私たち、無知の知だもんね〜!」


  中学生だった。


社会科で初めて知ったその言葉を、私たちははしゃぎながら口にした。


単純でピュアで少しおバカで…


かわいい中学生だった。


私たちは賢くないよ。
だけど、自分が何も知らないおバカさんだと知ってるよ。


   無知の知


  ソクラテスだ。


「自らの無知を自覚すること」


哲学なんてまるで興味がなかったけれど、
この言葉は私たちをごきげんにした。


だって知らないことをわかってる。
私たちはわかってる。



あれから私たちは成長したけど


無知の自分をわかってるかな。


知ったかぶりの仮面をつけてないかな。





いつかのバンクシー展より

私たちは黄昏を歩くセンチメンタル同盟

お金のことを考える ③

青色

今朝、銀行へ行ってきた。

そう、国民年金6か月分の前納だ。


夏休みの宿題みたいに、

あ〜、やらなくちゃ!いやだ、いやだ!

というざわざわした気持ちをいつまでも抱えていたくはないので…


とっとと払ってしまえ!


というわけで…


ATMで10万円を降ろし、そのまま窓口まで行って、とっとと98850円を納めたのだった。



最後のお給料が振り込まれるのが救いだ。


さて、そんなわけで

「お金の大学」を読み進めているのだけれど…




この高額医療制度


よく雑誌などで、保険の見直しについての記事を読むと、日本にはこの高額医療制度があるから保険で備えなくても大丈夫、的なことが書かれていたりする。


私は何年か前に2週間ほど入院した。

親切な病院で、入院中に事務の方が教えてくれた。⬇


あらかじめ「限度額適用認定証」の交付を受けておけば、病院の窓口で支払う金額が、最初から自己負担限度額になると。


私は土曜日に退院したので、支払いは窓口ではなく、後日振り込むことになった。


限度額適用認定証はもちろん退院前に用意していたのだけれど…


入院費は、少しも減額されることなく、そのまま全額を支払うことになったのだった。


自己負担限度額はどうなった?


当時は既に夫と別居はしていたが、まだ扶養を外れてはいなかった。


①夫は所得区分が上から2番目だった。


そして


②私が入院したのは月末近くで、退院したのは翌月だった。


つまり…


「同じ月(1日から月末まで)にかかった医療費の自己負担額が高額になった場合」という高額療養費制度の条件から外れたのだ。


前月に10日ほど入院し、月をまたいで2日ほど入院したので、私の場合は前月分は要件を満たさず、リセットされてしまったのだ。


突然の入院と、こうした条件の組み合わせが、高額療養費制度の恩恵には預かれないという現実に結び付き、


「高額療養費制度があるから、保険に頼らずとも大丈夫」という話は、


私にとっては

「高額療養費制度」は割に使い勝手が悪い

という結論となったのだった。


もちろん、私にとっては、である。


このときは、郵便局で入っていた保険が役に立ち(それでも昔の保険なので、入院初日からは支払われず…)


当時、既に生活費をもらわないパート生活だった私には、とてもとても痛い出費になったのだった。


扶養からは外れないが生活費はもらわない、という別居の選択も、このときばかりは自分の甘さを認識させられたのだった。


お金の話は奥が深い。


お勉強させていただきます。

私たちは黄昏を歩くセンチメンタル同盟