サーカスは悲しい
子どもの頃、住んでいた街に
サーカスがやって来た。
キャラメルを買ったら観覧できる、
というものだったと思う。
小学生だった私は、学校で仲良しの友だちと
いっしょに行く約束をした。
家に帰って、そのことを母に話すと
母は顔色を変えて言った。
「子どもだけで行くなんてとんでもない!」
それには、こんな訳があった。
母が子どもの頃、サーカスがやって来た。
小さな田舎町で、娯楽も少ない時代だ。
母も喜んで友だちといっしょに出かけた。
メインイベントはライオンの火の輪くぐり。
多くの人たちがその瞬間を楽しみに待った。
ところが、その火の輪くぐりの火が
何かに引火して、あっという間に燃え広がり
サーカスのテントは炎と煙に包まれた。
母は、テントの2階席にいたから
逃げ場がなかった。
近くにいた大人が、
たまたま持っていたナイフでテントを裂き、
2階から飛び降りた。
母も、同じようにそこから飛び降りた。
母は運良く、そこにいた馬に落ちた。
バウンドして、さらに
そこに倒れていたおばあさんの上に落ちた。
だから、その大火の中、
怪我もなく、生きて家に帰り着いた。
母の実父は大きな商家の次男坊で
既に子どもが二人いた。
しかし、本家である長男には子どもがなく、
次男の家で次に生まれた子どもを
養子にする、という約束ができていた。
そこに生まれたのが母だ。
女の子ではあったけれど
約束どおり、本家に養子に出された。
商家は貿易で成功していて
とても裕福だったし、大事にされた。
しかし、母が幼い頃に養母が亡くなり
その後、後妻がやって来た。
その後妻は大人しくて慎ましく、
決して意地悪な人ではなかったが
母は、そのサーカスの日に
その後妻の本心を知ることになる。
サーカスの大火から
無事に帰り着いた母ではあったが
近隣はサーカスの火事で大騒ぎで
母の祖父母は母のことを心配していた。
だから、母の顔を見てホッとしたのと同時に
「二度とサーカスなんか行くんじゃない!」
と雷が落ちた。
その後、後妻が母の顔を見ると
何事もなかったかのように
「あら、帰ってきたの?」
と淡々と声をかけたのだった。
幼心にも、
祖父母と養母との自分への愛情の差を
母は痛感したのだと言う。
私は、この話を何度も何度も聞かされた。
2階から躊躇せずに飛び降りたこと、
それが運良く馬の上に落ちたこと、
自分が帰り着いたときの養母の言葉…
きっと、認知症がひどくなっても
母はこの話を忘れないだろう。
この火事で何人かが亡くなり
同じ町内に住んでいた子どもも亡くなった。
ひどい大やけどを負った幼なじみもいた。
母と同様に
このサーカスの火事は人々の記憶に残り、
時を経て、
私と同じようにサーカスを楽しみにして
観覧に来ていた子どもたちは皆、
大人といっしょに見ることになった。
私には母のサーカスの話の印象が強く
自分が見たサーカスは
ライオンの火の輪くぐりしか思い出せない。
母の命を助けてくれた馬やおばあさんは
どうなったのだろう?
母もまた、それはわからないのだった。
小学校には学校の怪談がつきものだが
私が通っていた学校にもあった。
それは、
サーカスで亡くなった方の安置所が、
学校の校庭だったことと
関係があるのかも知れない。
母が見に行ったサーカスも
私が見に行ったサーカスも
私が通っていた小学校から近い場所、
そう、全く同じ場所で開催されたのだった。
子どもだけで行かせるわけにはいかない、
というのは、そんなわけだ。
大人になってから見たサーカスのことは
前にブログに書いたけれど
私は、やっぱりライオンの火の輪くぐりが
ものすごく印象に残って
もう、二度とサーカスを見に行くことはない
と思ったのだった。
人間のために 動物たちは芸をする。
鞭で叩かれ、餌で釣られて芸をする。
火事の原因となった、
火の輪くぐりのライオンは
助かったのだろうか?
私にとってのサーカスは
なんだかちょっと悲しい色をしている。
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