センチメンタル同盟

頭と身体の衰えが一致しない私の老いへの初めの一歩

 絵馬の願い


初詣ではもう済ませていたが


おみくじが欲しくて 神社に出かけた。



特定の宗教に信心もない私であるが


おみくじに書かれていることは


なんだか素直に受け止められるのだ。



時々 霞がかかったように


不安で 怖くて 前に進めなくなる。



どんなものでもいいから すがりたくなる。


宗教に傾倒していく人の気持ちがわかる。





出かけた神社でおみくじを引くと


境内にあった数々の絵馬が目に留まる。



合格祈願はよくあるが、


その下に「不登校が治りますように」


と書かれた絵馬があった。



しかも、その文頭には


その子どものフルネームが書かれている。



親子3人の連名になったその絵馬を見て


切実な願いなのだろうと思った。



しかし、一方でなんだか違和感もあるのだ。


不登校は「治す」ものなのだろうか。



不特定多数の人が訪れる神社で


こんなにセンシティブなことを


フルネームで書いてしまっていいのか。



余計なお世話だけれど、心配になる。



私は 次男が不登校になった時期もあるし


仕事で不登校の子どもも何人か見てきたが



学校も親も登校を強要しない、というのが


お決まりになっている。



学校なんて 行かなくてもいいんだよ


と、言い切ってしまう風潮もあるけれど



それは ケースバイケースだ。


それが良いことももちろんあるけれど


副作用があることもある。



学校で無償で教育を受ける権利があるのに


逃げていい、行かなくていいというのが


あたりまえになるのは 違う気がする。



子どもも先生も不登校になるような


そんな「行きたくない」学校というものを


真剣に考え直すべきときではないのか。




今は 不登校の子どもたちを受け入れる、


フリースクールや放課後等デイサービス等が


たくさんあって



子どもの居場所の選択肢は増えている。



良い施設もたくさんあるだろうが


そうでない施設もまたたくさんある。



誰かの成功例が 違う誰かの成功に


必ず繋がるわけではない。



人はそれぞれ違うのだから。



「異次元」の少子化対策が


どんなものかは知らないけれど



子どもが無償で教育を受ける権利を手放して


「逃げていい」と言われる学校のあり方を


ちゃんと考え直すべきだ。



学校でしか経験できないこともある。


学校が全てではないけれど


憲法で保障されている子どもの権利が



子どもや先生を窒息させるような


そんな「学校」に潰されてはいけない。



「異次元」の少子化対策は


お金をばらまくことではなくて



本当に大事なことを


足元から見直して そこにお金をかけていく



ということだと思うのだけれど。




「不登校が治りますように」という絵馬を


奉納した家族が



いつか 違う願いを掲げられるように。