センチメンタル同盟

頭と身体の衰えが一致しない私の老いへの初めの一歩

「カメラはそこで回ってるんだぜ」


インスタグラムでは



ターゲティング広告と同じように


閲覧履歴によって 閲覧者のデータを把握し


閲覧者の好みに合わせたリールが流れる。




だから


私のように犬猫動画が好きな人には


当然、犬猫のリールが沢山流れる。



先週、


ペットの亡骸を映した動画のことについて


書いたけれど



私の違和感はまだ続く。




保護猫、保護犬活動をしている団体が


増えていて、とても良いことなのだが



そこに混じって


捨てられた可哀そうな猫や犬が


投稿者によって保護される動画が



国内、国外問わず流れてくる。



最初は


世の中には本当に良い人がいるなぁと


感心して見ていた。



良い人に助けられて良かった、と安堵した。



それが いつしか違和感へと変わったのは


海外から投稿された1本の動画が


何度も流れてきたことによる。



それは こんな場面から始まる。



仔猫が何が原因でなのか仮死状態になり


眼を見開いて硬直した状態で置かれる。



それを人間が心臓マッサージをすると


仔猫は息を吹き返し、元気に歩き出す。



ただ、それだけの短い動画だ。



最初に見たときは 驚いて


でも、助かって良かった、と安堵した。



しかし、3回目が流れてきたとき


どのようにして この動画が撮られたのかが


気になった。



今どき、誰でもスマホを持っていて


誰でもが 一瞬でカメラマンになれる。



偶然出会った出来事に


カメラを回したのも知れない。



だが


もし、それが 人の興味を惹くための


故意によるものだったら…



ふっと そんな考えが浮かび ぞっとした。



まさかね?まさかだよね?考えすぎだよね?




いつだったか読んだ新聞記事で


虐待するために 猫の譲渡会に出向く、


吐き気のするような人間がいることを知る。



今は動物虐待動画はすぐに通報されるから


アップする人間は減っているだろうが


虐待する人間は減らない。



その前後が見えない動画には


虐待だって隠れているのかも知れない。





そんな考えが頭をよぎってから



次々に流れて来る、


ずぶ濡れの痩せこけた犬や



毒餌を食べて 歩くこともできない仔猫や



そうした動物たちの動画を


素直に見ることができなくなった。



最後は 投稿者に保護されて


きれいな音楽や温かいテロップが入って


ハッピーエンドなのだけれど。




 「カメラはそこで回ってるんだぜ」




表現の自由はある。


伝えたい思いは別にあるのかも知れない。



動物をめぐる、厳しい現実や


それに対する批判、思いもあるだろう。



それを伝える根底には


正義や愛情もあるのだろう。




それでも


ペットの亡骸を映した動画と共に


私の中に言いようのない違和感が生まれた。




私たちは 便利なツールを手に入れて


どんなものにもカメラを向ける。



でも


自分の家が火事になって燃えているのに


それを動画にしたりはしない。



しないよね?



眼の前に 苦しんでいる命があるのに


まず先にカメラを向けるなんてしない。



しないよね? 



  しないよね?



  

大事なことを 忘れてまでも


その共感は必要?



 「カメラはそこで回ってるんだぜ」




「皆さんご存知か知りませんが 私はテレ


 ビが苦手です。


 ドキュメンタリーなんて信じない。


 カメラはそこで回ってるんだぜ。」


          斎藤 和義