センチメンタル同盟

頭と身体の衰えが一致しない私の老いへの初めの一歩

 聖なる別れ


インスタグラムで


わんこやにゃんこの画像を見ることが多い。



なので、あたりまえのように


それらの動画も流れてくる。



最近、ショックだったのは


最愛のペットを亡くされた方が


その亡骸の動画をアップされていたことだ。



美しい音楽と心に染みるテロップと共に。



愛していたから、残そうとされたのだろう。


その思いを共有したかったのだろう。



それでも


私には違和感があった。



そこにカメラがあるんだぜ


と歌ったミュージシャンがいたけれど



彼が感じた違和感と私の違和感は


たぶん同じだ。



ペットの亡骸の動画をアップする人は


増えている。



それが嫌だとか そういうことではない。


不快だとか そういうことでもない。



でも 私の違和感は消えない。



どんなに愛していても


どんなに悲しくても



愛するものの亡骸を


画像に残そうとは 私は思わない。



その姿を


誰かと共有したいとは思わない。



私は 私が死んだら


元気な私の姿だけを思い出して欲しいから


自分の亡骸を誰かに共有されたくはないから



この違和感は拭えない。



非難でも批判でもないけれど


どうしても 拭えない。



人それぞれに表現の自由はあるけれど


どうしても拭えない私の気持ちも


それはそれであり、としたい。



悲しみの癒やし方は人それぞれだ。


愛するものの死は 悲しくて痛い。



その痛みがわかるからこそ


聖なる別れの前には



厳かな祈りだけあればいいと


私は思う。