センチメンタル同盟

頭と身体の衰えが一致しない私の老いへの初めの一歩

コントロールされない自由


小学校で発達障害の子どもを支援していた頃


特に難しいな、と思った教科は道徳だ。



道徳の教科書とそれに沿ったテキストがあり


問題集のように書き込むようになっていた。



先生は道徳には「正解」がないから


思ったことを書けばいい、という。



それが一番難しいことなのだけれど。



「正解」はないけれど


指導要領には 「正解」が書かれており



先生はその答を読み上げる。



それを聞きながら、


なんだか腑に落ちなくて



そもそも 正解のない道徳を


「特別の教科」にする必要があったのか?


と疑問に思ったのだった。



ものすごく曖昧で、先生も指導しづらい。



私自身は 子どもの頃、


道徳の授業が好きだった。



「正解」のない授業は


テストも宿題もなく、平和だった。






安倍政権が改革した教育政策は


道徳を「特別の教科」にした。



国の検定教科書を使い



通知表で「児童生徒がいかに成長したか」を


文章で記録する記述式の評価も


実施されているらしい。



どうやって評価するんだろうか?



安倍政権の教育基本法の改正では



教育の目標として


「我が国と郷土を愛する態度を養う」


という文言が盛り込まれた。



天邪鬼な私は 余計なお世話だ、と思う。



国を愛し、郷土を愛することは


法律で養われるものではない。



国が嫌いな人も 郷土が嫌いな人も


いたっていい。



それこそ 内心の自由だ。



国のために 国民がいるわけではない。


国民のために 国があるのだ。



ぼんやりしている間に


ちょこちょこと いろんな改正がされて



肝心な国民を置き去りにするような


残念な国にならないように



「愛国心」よりも


「内心の自由」を守り抜いて欲しい。



国民を納得させられない国が


「愛国心」を謳うな、という話なのである。