センチメンタル同盟

頭と身体の衰えが一致しない私の老いへの初めの一歩

 愚かな暴徒




何か事件が起きると


被害者と加害者というその形だけで


人々の感情が加熱していく。




「許されない暴挙」が「民主主義を破壊」し


「思い込みの激しい愚かな暴徒」が


世の中の秩序を乱す。




  次の矛先はどこだ? 何だ?




私たちが愚かな暴徒ではないと


誰が保証できるだろう。




著名人の不倫問題をここぞとばかりに


激しく叩くのは誰?



犯罪を犯したわけでもないのに


執拗に皇族を叩くのは誰?



顔も見えない 声も聞こえない SNSの中で


無名の正義請負人になるのは誰?



自分の目で耳で確かめたわけでもないことを


事実であるかのように 垂れ流すのは誰?





その振り上げた拳が


誰かを激しく傷つけても 罪はないのか?






悪の塊としてこの世に生まれる人はいない。




    正すべきことは 何?




誰だって 幸せになりたい。


修整できることなら 修整したい。




あやまちはあやまち。駄目なことは駄目。




でも、切り捨てられていい人間はいない。





私たちは 常に正義の人ではない。


被害者にだって 加害者にだってなりうる。




踏みとどまれる幸運の人は


踏みとどまれない人の不運を


ただあざ笑って 切り捨ててはいけない。




踏みとどまることができなかった人の


孤独や哀しみを その過程を




私たちが決して味わうことはないなんて


誰にも 保証することはできない。




功を成し 名を挙げた人の命だけが


尊いわけではない。




這いつくばって生きてきた人たちの命も


大切な命だと 気づかない。




踏みとどまれなかった人たちを


正義を盾にして 叩き続ける。




私たちだって 愚かな暴徒ではないのか?