センチメンタル同盟

頭と身体の衰えが一致しない私の老いへの初めの一歩

 6月のさくらんぼ



6月になった実感がないまま


はっと気づくと もう中旬である。



そして


おっといけない、忘れるところだった、


と慌てて注文するのがさくらんぼだ。



フルーツは何でも好きだが


1番好きなのはさくらんぼなのだ。




メルカリでは毎年、


たくさんのさくらんぼが出品される。



色が薄かったり、実が双子だったり


粒が小さかったり、傷があったり…



そんな訳ありさくらんぼを


毎年、購入している。お値打ちなのだ。



完璧な姿でなくても


佐藤錦は佐藤錦だし、高砂は高砂だ。



毎年、3キロは注文するだろうか。



家に帰ればさくらんぼがある、と思うと


しあわせな気分になる。



訳ありのさくらんぼも


ちゃんとさくらんぼとしてそこにある。




人間も


ちょっとくらい傷があったって


完璧でなくたって 



ちゃんと人間として そこにいる。



完璧でなくても


きっと誰かが その味を愛してくれる。