センチメンタル同盟

頭と身体の衰えが一致しない私の老いへの初めの一歩

 子どもの未来は子どものもの

以前、


障害のあるお子さんを持ったタレントさんが



障害があっても、


普通学級のハードルは高くない、


ぜひトライして欲しい、という


エッセイを書いていた。



そのタレントさんのお子さんは


普通学級で楽しく過ごせているのだろう。



ノーマライゼーションの観点からは


障害があっても 


普通学級へという選択肢があっていい。



しかし、誰にも当てはまるかどうかは


微妙だ。



普通学級にいる、発達障害の子ども達を


支援してみて、そう感じた。




まだ、小学1年生くらいならいい。


2年生になり、3年生になり、と


学年が上がるたび、勉強が難しくなる。



ある日、支援に入った4年生の教室で


机に伏せて泣く男の子がいた。



図工の時間に泣く子はめずらしい。



聞けば、算数の課題や国語の課題ができず、


図工の課題もテーマが理解できず、



どれもこれも積み残して、


その子の手には余る量になっていた。



自分は何をやっても駄目なんだ、


とその子は泣きじゃくっていた。



慰めても慰めても、


その子の涙は止まらなかった。



これは、切ない。






普通学級にこだわると


子どもに辛い思いをさせることだってある。



誰も彼もが ハッピーなわけではないのだ。



障害のレベルや その子の性格や


色々なことを総合的に検討して



より良い進路を見つけて欲しいと思う。



子どもの未来は 子どものものなのだから。