センチメンタル同盟

頭と身体の衰えが一致しない私の老いへの初めの一歩

 奇跡はいつだって不公平



納骨の日



副住職さんが話されたことの中で


素直にうなづけなかったことが一つある。





 私たちはみんなご先祖様に守られている。


 先日、母上を亡くされたご家族が


 沖縄旅行に出かけた。



 運悪く 予定の飛行機に乗り遅れて


 次の便に乗ることになった。



 すると、最初に乗る予定だった飛行機内で


 争い事が起きて、発着が遅れてしまった。



 その飛行機に乗らなくて良かった。


 亡くなった母上が守ってくれたのだ、と。






昔、テレビで「奇跡」の特集があった。



大きな事故が起こって、たくさんの人が


犠牲になったのに、難を逃れた人がいる。



「奇跡」が起きたのだ、と。





そのとき、思った。


奇跡が起きた人と起きなかった人がいるのは


なぜなのか?




神様が守ってくれたのか、


ご先祖様が守ってくれたのか。




では、守られなかった人は


なぜ守られなかったのか?



信仰心か? 道徳的な行いか?




そのテレビを見ながら、


この事故で犠牲になった人の親族は



この「奇跡」の話をどんな思いで見るのかと


複雑な気持ちになった。






父が癌になったとき


奇跡が起これば良いと思った。



ルルドの水でも 手に入るのなら


そこにすがっただろう。




けれど


奇跡は起こらなかった。



どんなに祈っても 起こらなかった。






ご先祖様があってこその 私たちの命だ。




けれど


奇跡は いつだって不公平。



守られる命と 守られない命



今日も どこかで奇跡を願って


誰かが 祈りを捧げている。