さよなら、またね
きれいに晴れた朝。
今日は夫の納骨の日だった。
予めお供えのお酒は買っておいたが
昨日は帰り道でお供物の和菓子を買い
帰宅後 お花を買いに行き
お布施や線香、ロウソクをカバンに入れた。
火葬証明書も忘れてはならない。
今朝は 少し緊張しながら
二人の息子と車で出かけた。
副住職さんに導かれ
きれいに名前が掘られた石を持ち上げ
納骨した。
地面は土なので、お骨は土に還る。
次男の友人の実家は
お骨を混ぜて手元供養できる物を作る仕事を
されている。
次男はそれを望み、副住職さんに相談した。
副住職さんは快く賛成して下さり、
次男は小さなお骨を持ち帰ることにした。
手元供養をしていると、
いつかそれが必要なくなる日が来る。
その日が来たら、
また、墓石の下に戻せば良い、と言われた。
その日がいつになるのかはわからないが
その日は必ず来るのだと。
そして
お経をあげて下さった後、話された。
いつまでも 下を向いていてはいけない。
残された者は 生きていかねばならない。
亡くなった人に恥ずかしくないように
顔を上げて生きていかねばならない。
お経をあげて お参りすることだけが
供養ではない。
残された者が一生懸命生きていくことが
供養になるのだ。
特別、信仰心のない私にも
その言葉は すとんと腑に落ちた。
合掌しながら、夫の冥福を祈る。
そして、心の中で語りかける。
さよなら、またね。
夫婦としては うまくいかなかったけれど
もし 生まれ変わって 出会えたなら
今度は 良い友人になろう。
良い友人になって
互いの悲しみや 寂しさや 虚しさを
心を開いて 語り合おう。
私は 恋の相談相手にはもってこいだよ。
シルバーの車を見ると
やっぱり まだ運転席を見てしまうけれど
それもまた いつか忘れる。
私たちは 貴方が生きられなかった今日を
そして、明日を生きる。
一生懸命 生きていく。
さよなら、またね。
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