センチメンタル同盟

頭と身体の衰えが一致しない私の老いへの初めの一歩

 薄い紙切れのその重さ



相続伸長の申立てをしたとき


夫の除籍住民票が必要だった。



窓口に行ったとき


「除籍住民票を」と言った途端、


「えっ?」と絶句された。



なんだか気まずい。



ささっと奥に引っ込んだその人は


その奥で何事かひそひそと相談している。



私と夫は住所が違う。


身分証明書は見せているけれど


夫婦であることの証明ができない。



そのために戸籍謄本もカバンに入れてきた。


奥のひそひそ話に 冷や汗が出る。



その場の空気に耐えきれず


声をかけて、謄本を見せようかと迷った。



しかし、間もなく 何事もなかったように


除籍住民票は発行された。



ほっとして、逃げるようにその場を離れた。



色々な手続きで こんなことがよくある。



卒婚という言葉が流行ったけれど


そんなきれいごとばかりじゃない。





結婚したとき 婚姻届のその用紙が


巷でよく言われるように


あまりにもペラペラの薄さで 



本当に 薄い紙切れなんだ、と感心した。



でも、その紙切れは


その薄さと軽さとは真逆に


それはそれは重い責任と忍耐を伴う。



お互いに


色々なものを背負う覚悟が必要なんだ、と


夫がいなくなって 改めて考える。




別居で手に入れた自由と平安には


引き換えにしなければならないものが


現実として確かにある。



もし、離婚という選択をしていても


その責任は子どもたちにスライドされる。



夫婦が他人になったとしても


親子の縁は切ることができないのだ。


その血の繋がりのある人たちとも。






まだ、この先もしばらく続くあれこれだが 


同一世帯でない、


という現実に伴う煩わしさは



自分の選択の責任として


これからも 引き受けていかねばならない。



配偶者であった、という責任の重さもだ。