センチメンタル同盟

頭と身体の衰えが一致しない私の老いへの初めの一歩

 3月は去る


あっという間に3月が終わる。


本当に この3か月は過ぎてみると


びゅん!と音を立てて去っていった感じだ。



去って行ったものは二度と戻らない。



2月末から右手を痛めていて


それはおそらく首からつながる痛みなのだが



ふと気がつくと


もうずっと長い間、この種の痛みと


いつも共存している。



首は40代の頃からだから 20年ものだし


そこに指だとか たまに足だとか



痛くない日を見つける方がむずかしい。



これが老化ってことなんだな、と思う。



もう、どこも痛くない自分には戻れない。


どこもかしこも元気な自分は


遠く過ぎ去って 二度と戻らない。



それでも、そういう自分と


折り合って生きてる自分も悪くない。





夫が亡くなったとき


突然の嵐みたいな日々を必死に過ごして



後悔とか 自責の念とか


そういうものは ねじ伏せてきた。



ねじ伏せて ここに来て


それでも やっぱり


私には 夫の死に責任がある、と思う。



どうにもわかりあえず


自分を守るために 手を離してしまったが



手を離してしまった責任はある。


そういう痛みからも逃れることはできない。



3月の終わりに



そういう自分と これからもずっと


とぼとぼと歩いていくんだな、と思う。



みんな、どこかで


ヒーローでも、ヒロインでもない、


等身大の自分にため息をつくけれど



それはまたそれで 悪くない気がする。



     3月は去る。