センチメンタル同盟

頭と身体の衰えが一致しない私の老いへの初めの一歩

 選択の自由


1回目の緊急事態宣言が出たとき


少しの間、学童保育にヘルプに入った。



私が入った学童保育所は


古い建物を借りていて、お世辞にも


きれいな部屋とは言えなかった。



掃除も最低限で 行き届いているとは


とても言えなかった。



そんな私の心の内を見透かしたように


ベテランの指導員が言った。



「汚いでしょ?片付ける時間もなくて。」


「でもね、学童の子って強いんだよ。


インフルエンザとか流行ってるときでも


全然、元気なの!」



確かに



緊急事態宣言が出ているのに


指導員も子供たちもマスクをしていなくて


びっくりした。








でも、この話、少しわかる気がした。



小学校で支援員をしていたとき、


2年生のひとつのクラスによく入ったが



ここのクラスは ものすごくアバウトで


子供たちは 良くも悪くも 自由奔放で


伸び伸びとしていた。



男子は ほとんどが


トイレの後も 手洗いをしなかった。


担任も 男子はそんなもの、と


笑い飛ばしていた。



隣の2つのクラスは 真面目なベテラン教員で


インフルエンザが流行する季節になると


外遊びから戻るたびに 


子供たちに手洗いとうがいを徹底させた。



アバウトなクラスは


トイレ後の手洗いもしないくらいだから


推して知るべし、で


うがいなんて するわけもなかった。



学校内でインフルエンザが流行り出すと


私はあることに気づいた。



手洗い、うがいを徹底していたクラスに


インフルエンザでの欠席が増え始め


アバウトなクラスも時間の問題と思われたが



このクラスには


感染した子供が ひとりも出なかったのだ。


クラス間の交流もあったのに。








医学的な根拠は全くない。


ただの偶然なのかも知れない。



でも



清潔を徹底しなかったことが


子供たちの抵抗力を強くしたのでは?


と 私は思ったのだった。



だから



学童保育の指導員の言葉が


私には 腑に落ちた。




コロナ禍にあるこのご時世に


不謹慎なのかも知れないけれど




3回目のワクチン接種券が届いて


思い出したのは こんなことなのだ。








人の体は それぞれ違う。


考え方も それぞれだ。



2回目までのワクチン接種は


接種しなくて感染したら後悔すると思った。



3回目のワクチン接種は


接種して、大きな副反応があったら


後悔するだろうと 思い始めている。



どんなワクチンにも どんな薬にも


副反応の可能性はある。



だとしたら 



その結果を背負うことになる本人に


選択の自由はあっていい。



何かを徹底することで


失うものも きっとある。



絶対はないのなら、


自分で よく考えて 自分で 選択したい。



それくらいの自由は 



    守られていい。