イマドキの自尊心
イマドキの若いもんは…
と大昔から言われているけれど。
まさか自分もそんなことを言うなんてね。
職場に若い人が入った。
若いのに落ち着いている印象だった。
人手不足にありがたい話だ。
しかし、私はなんだか嫌な予感がした。
シニア若葉マークともなると、
沢山の人に出会ってきて、
それなりに色んな経験も重ねている。
この嫌な予感は既視感と言ってもいい。
かつての職場に
この若い人とそっくりのタイプがいた。
見た目も、しっかりして落ち着いた様子も
それはよく似ていた。
頭が良くてしっかりしているが、
なかなかドライで、
おかしいことはおかしい、と言うタイプだ。
羨ましいことに、
ちゃんとNoと言える日本人なのだった。
仕事のやり方や、その振る舞いを
同僚に注意されると、
それが嫌で辞めて行った。
今度の若い人も同じだった。
今の世の中はハラスメントにうるさい。
だから、みんな気をつけてはいた。
戦力として育てようとした同僚は、
熱心に指導はしていたが、
それはあくまで指導のレベルだった。
しかし…
それは「イマドキの若いもん」には
通じなかった。
うざがられる、というレベルを越して、
「顔も見たくない」というレベルになった。
それも、一気に、である。
で、あっさりと辞めていった😓
まぁ、よくある話ではある。
あっちにもこっちにもゴロゴロ転がる話だ。
しかし、この話の残念なところは、
同僚が若いもんの資質を買っていて、
立派に育てあげたい、と願っていたことだ。
若いもんには、それが
単なる嫌がらせにしか感じられなかった。
自分は哀れな被害者だと言うのである😱
これが世代間ギャップというやつか?
同僚の落胆は言うまでもない。
私の嫌な予感も捨てたもんじゃないな、
とつまらない皮肉を自分に飛ばして、
この件は忘れることにした。
忙しい毎日は続くのだ。
イマドキの若いもんの繊細な心に寄り添う、
心の余裕などない。
だって、そもそも理解不能だし。
「まったく、イマドキの若いもんは!」
こんな使い古されて、穴があきそうな言葉を
心の中で吐き捨てて、
若いもんの穴を埋めるべく、走り回る。
若さ故の傲慢さを
私たちも持っていたからこそ、
なんだかなぁ…とため息をつくのだけれど。
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