センチメンタル同盟

頭と身体の衰えが一致しない私の老いへの初めの一歩

幸せの基準

長男は発達障害だ。



昔、ほぼアスペルガーだろうと言われたが、


どうしてもその条件に合わない部分があり


確定診断はつかなかった。



その医師は、自閉症の専門家として


この地方では有名だったらしく、


当時は初診でも3か月待ちだった。



アスペルガー症候群について


その医師はざっくりとこんな説明をした。




 大人で 


 オタクと言われる人がいるでしょ?


 電車とか アニメとか


 特別な何かに夢中になるような


 あんな人たちですよ。







この説明が果たして適切なのかどうか


疑わしいところではあるが


私にはしっくりきた。




おそらく


アスペルガー症候群の詳しい説明をしても


親を混乱させたり、不安にさせたりする。


そういう配慮だったように思う。




長男は客観的に見ても 自閉的特徴があった。



幼い頃は、モノを並べることや


デジタル時計の数字にこだわりがあった。



ドライブに出かけると


マクドナルドのマークや


電信柱や、マンホールの蓋など


目に入ったものを


後から正確に描いて見せた。



人の絵は 頭足人ですら描けなかったのに。






彼はずっと 普通学級で通し、


しっぽのレベルではあるが


大学にも行き、卒業できた。



そして



医師が言ったように


見事にアニメ好きなオタクになった。




子供の頃は


いじめにも合い、


二次障害で 吃音にもなった。




それで 彼は不幸なのか?


と言うと



自分が発達障害である自覚もないが


自分の出来なさをありのままに受け止め


ゆらゆらと 柳のように生きている。



勉強ができるわけでもなく


運動が得意なわけでもなく



ただ素直にありのままの自分を認め


ありのままの自分で生きている。



不器用ではあるが、真面目に働き


休みが終わるとブルーになるが



人と自分を比べることもないので


友だちがいなくても


それなりに楽しく生きている。







夫は


地元では有名な難関大学を卒業し


高収入を得ていたし


それが義父母の自慢だったが



その大学も 上には上があり



お酒に溺れる父親と 


それを嘆く母親との


日常の喧嘩に失望していた彼は



その上との差に 劣等感を持っていた。




義父も夫も 


気が小さくて 劣等感に苛まれ


飲酒だけが 


自分を解放してくれる、唯一の方法だった。




ありのままの自分でいいのに



お酒の力で自分を大きく見せて


人を妬んだり 見下したり


マウントを取るのに必死だった。





小さな幸せで良かったのに



柳のようにゆらゆらと



自分は自分と


生きていけたら良かったのに




自分の後に


繋がる未来があったのに